横浜市から横須賀市に入る手前、「瀬戸神社前」信号を左折すると平潟湾だ。軒を連ねる船宿の一軒が「荒川屋」で、桟橋に立つと景勝地と謳われた「金沢八景」に納得できる。
「50年前の平潟湾は、今の三倍広かった。みんな貸しボート屋でした」
荒川屋社長の山下貞光さん(58)は潮焼けした笑顔が似合う、優しい人だ。カゴに入った筒は船に持ち込む灰皿で、『タバコを海へ捨てないで下さい』とある。環境を守る心意気に、こんな漁師がいたのかと感動を覚える。金アジのことを聞くと、待ってましたとばかり目が輝いた。
「外海を回遊する黒アジに比べ、沿岸のアジは小型で腹が黄色い。この辺りでは金アジ、黄アジって呼び、昔から有名でしたよ」
マアジは海域によって色や体形に変異があり、遺伝子プールが異なるであろう系群も多く知られる。今回の金アジは黒アジと同じ遺伝子ながら、食べて旨い方は、俄然キン! 身は透き通るように引き締まり、きめ細かな脂は黒アジと別モンだ。
漁場は、すぐそこ。米軍と自衛隊の基地が、目の前だ。近寄りすぎると、武器を向けられると言うから横須賀の漁業は命がけだ。U(上田)氏は、悠然と釣りを始める。
U「N(西潟)さん、料理には何尾必要かね。60尾? まぁ楽勝でしょう」
いつものように、スタートは鼻息が荒い。想定外…という言い訳を払拭して、私も竿を出す。
手取り足取り教えられて、いきなりククッと手応えあり。釣れた金アジは15センチほどで、腹が黄金色に輝く。そして淡く青い背に暗褐色の横縞が走り、手につかんだ弾力で“旨さ”を確信した。
U「100匹は釣ったろう、そろそろ上がろうか」
舳先で寝ていたら、そんな声がして起き上がる。11月なのに、真夏の日差しだ。船が風を切りだすと、焼けた肌に潮風が心地よい。
金アジは、料理しながらついつい、つまみ食いをしてしまう。皮を剥いだ瞬間に、ほとんど無意識にやってしまう。カメラマンに「アッ」と叫ばれ、仕方なく1枚を口へ入れてやる。共犯だな。
N「この金アジなら、料理を選ばないね」
U「いや、だからこそ魚の味を大切にしたい。甘酢漬けは油で揚げない南蛮漬けだが、鷹の爪も使わないんだ。金アジだと、辛みに負けてしまうだろう」
調理中の缶ビールは焼酎へと変わり、撮影を終えた料理が、肴になった。手を加えない簡単料理になったのは、釣って触れたからだ。金アジは、まるで「旨い」が跳ねているようだった。魚の味は、海の健康に比例する。東京湾口に位置する、八景沖だからだろうか。海は澄み切った空を映して、青く輝いていた。沿岸を回遊する金アジの、元気な泳ぎをしっかり見つめた。
N「湾奥の魚は、どうなってるんだろうね」
U「しばらく、東京湾を攻めてみようか。釣りを含め工業地帯での漁業は、全国が抱える問題だから」
なめろうをつついた箸で、冷めたさんが焼きをつつく。腹身は混ざり合っても、皮の輝きでそれとわかる。焼き味噌が金アジの脂に絡み、香ばしく固まっている。硬派な酒に、これ以上の肴はない。西向きの窓はすっかり暮れていた。中年男の顔が二つ、こっちを見ている。